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親の死が教えてくれた☆「死を受け入れる」3つの体験談

親の死が教えてくれた☆「死を受け入れる」3つの体験談
親の死は、いくつになっても悲しいですよね。人生100年と言われる昨今、親の死に直面する平均的な年齢は50歳~70歳と言われます。
 
50歳~70歳と言えば、自分達にも子どもが産まれ成人していたり、仕事も充実していたり、すでに定年退職を迎えて、人生も後半に差し掛かったところです。
 
そのため親の死を通して、「自分の死」を意識するようになる体験談も多く、親の死をきっかけに終活を始める方も少なくありません。
 
幼い子どもが祖父母の死を通して、幼な心ながらに「死ぬ」と言うことを体験するように、親の世代となった自分達もまた、「親の死」によって自分自身の死に向き合うことになる体験談は多くあります。
 
そこで今日は、親の死をきっかけにして、自分の老いや死に直面した、死について考え始めた、3つの体験談をお伝えします。
 



 

親の死が教えてくれた☆
「死を受け入れる」3つの体験談

 

親の死の3日前、母親との些細な会話


女性は思春期には反発するものの、成人して結婚・子育てと、母親と同じ道を歩むようになる内に、再び深い絆が産まれ、親友か兄弟のようになる母娘も少なくありません。
 
ひと昔前は夫方の義両親と同居をする家庭が多く見受けられましたが、近年では家事を担う妻が気を遣わずに子育てや手伝いを頼むことが出来るために、妻方の家族と近距離に住む「近居」も話題になっています。
 
そんななか、再び母との絆が深まった娘にとって、母親の死へのショックは計り知れません。
 
今回は、そんな成人して近距離で暮らし、再び親友のような関係性を築いていたA子さんの、母親の死の体験談です。
 

【 A子さんの献身的な看病を拒む母親 】
 
☆ A子さんは母親がすい臓がんと分かってから、毎日のように病院を訪れ、看護を続けてきました。
 
夫もA子さんと母親がとても仲が良いのを見てきましたから、夜は子どもをA子さんに代わり、一人で世話をしてくれます
 
…けれども母親は、長期入院が確実になった一週間もした頃、A子さんが長く病院へいることを拒みました

 

思い返せばA子さんの母親は、近居でありながら一緒に外出したり、お茶を飲んだり…、実家に入っても18時頃になると「そろそろ帰りなさい」と、A子さんが実家で寝泊まりすることを許さないところがあります。
 
一方で、A子さんの子どもは実家にお泊りすることも自由ですし、仕事や用事があれば快く預かってくれる母親でしたので、「なぜ私だけ、実家に泊めてくれないの?」と不満に思うこともありました。
 

【 大切なのはパートナーとの絆 】
 
☆ 母親の体が日々弱るなか、思い切り看護もできない焦りも感じていたA子さんでしたが、ふとした会話のなかで、母親がこう言います。
 
日本では親子の愛情や絆の物語が多いんですって!特に年を取った母親と子どもとかね…。それだけ、日本人は親子の絆が深いのよね。
 
でも、欧米では歳を取った女性が主人公でも、夫婦やパートナーとの物語が日本よりもずっと多いらしいの!そうよね、大切なのは今の家族よね。」

 

何気ない会話でしたが、A子さんには母親の言葉には意図があったのだと感じています。そして、「ずっと連れ添うのは旦那だからね。」と言いました。
 
その時の母親の言葉通り、A子さんにとって母親の死は相当なショックでしたが、夫との絆をより意識したことにより、ショックに飲み込まれずに悲しみを癒すことができたそうです。
 

 

子どもに戻ったような「素直な愛され上手」


ひと昔前には「男は家を出ると10人の敵がいる」なんて言葉もあったように、働き盛りは出世欲も金銭欲もあります。
 
見栄もプライドもある時代ですから、バリバリ働くビジネスマンなどは「嫌われてなんぼ!」なんて言う方もいますよね。
 
けれども、いくら出世をしてもお金を稼いでも、定年退職をした後は肩書も何も「楽しい老後には役立たない」と感じる方が多いです。
 
そんななかで見た、養護老人ホームで息を引き取った母親の姿に、B夫さんは「ひどく感銘を受けた」と話してくれました。
 

【 キャリアウーマンの姿は欠片もない 】
 
☆ B夫さんの母親は、女手ひとつでB夫さんを育てたキャリアウーマンでしたが、転んだことがキッカケで車椅子生活になり、83歳で養護老人ホームに入りました。
 
→ 仕事で忙しく、日ごろは奥様に世話や施設とのやりとりを任せてきましたが、入所からしばらくして、奥様と共に訪ねて驚いたのは、施設のスタッフの人々や他の入所者の人々から愛され、楽しんでいる母親の姿です。

 

大きな養護老人ホーム施設では、ふと同じ病室やフロアを見ると、イライラしている様子の入所者の方々も多くいます。
 
また、母親のようにフロアで人と楽しそうに話している入所者は、意外にも、そんなに多くはありません。B夫さんの奥様は、そんなお義母様を見て「こんな、かわいいおばあちゃんになりたい!」と思ったそうです。
 

【 いつも笑顔で感謝を伝えると評判 】
 
☆ B夫さんは帰る時、施設スタッフの皆さんに母親について尋ねたところ、こんな嬉しい言葉が返ってきたと言います。
 
→ 「いつもニコニコ素直に応えてくれて…、『ありがとう、ありがとう』って言ってくれるんです。私には天使のようなおばあちゃんです。」

 

…こんな有難い言葉はないですよね。B夫さんは、想えばキャリアウーマンの時代から、その実力や実績を鼻にも掛けず、「人を立ててちょっと自虐して」笑いを誘うところがあったことを思い出しました。
 
そして日々の口癖が「人の悪いところは流す」。そして、大切にしてきた事柄が「陰徳」でした。「陰徳」とは、「自分がした良い事柄(得)を隠す」意味合いがあります。
 

【 笑顔で見送られた母親 】
 
☆ 90歳の大往生を遂げた母親の死は、むしろ温かさを感じるものでした。施設スタッフの人々にさすられて、話しかけられて、拍手のなかでその生涯を閉じました。
 
→ 母親の死を想うとなぜか微笑ましく、皆が笑顔になる…、B夫さんご夫婦は「自分達もそんな死に方、生き方がしたい」と感じたそうです。

 
 

いかがでしたでしょうか、今日は親の死をきっかけにして、自分達の「死に方」を意識するようになった体験談をお伝えしました。
 
最後の3つ目の体験談はC男さんの父親の死です。ガンを患っていた父親は、もともと勉強熱心で本を数多く読む人でしたが、死に直面してからひたすら読んでいたのは、仏教の本だったそうです。
 
キリスト教では死後に天国に行くとされるため、死への恐怖も軽減されると言う話もありますが、そんな想いもあったのでしょうか…、今となってはその胸の内はわかりません。
 
ただ死への恐怖はなく、心構えができていた父親の最期は穏やかだったそうです。
 
そして死の前夜、C男さんが延命治療を断ったすぐ後に、父親の病室がバタバタとしていたために駆け込んだら、「俺は骨になったのか?」と聞かれました。
 
その後「いい時代を生きたな~」とふざけるように言い、その場にいたお医者様に「何を言ってるんだ、生きてるよ!」と言われた一幕があったために、葬儀場では「父親らしい」エピソードになったとか…。
 
このようなさまざまな体験談を聞くと、終活は「理想の死に方」を追求する作業ながら、「いかに生きるか」「生き方」を見直すきっかけになるような気がしてなりません。
 
 

まとめ

自分の死を意識した、親の死の体験談

・親ではなく、夫婦の絆を諭された
・夫婦の絆のお蔭で死のショックを乗り越えた
・素直で可愛い、愛される母親
・老人ホームでニコニコ、常に感謝をしていた
・大往生で拍手のなか見送られた
・ガンになり多くの仏教本を読んでいた父親
・心構えができたためか、穏やかな死だった
・「父親らしい」エピソードで温かな葬儀
・「理想の死に方」は「理想の生き方」



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