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宮古のお墓を巡る。女の人生「アントマ墓」「マムヤの墓」

宮古のお墓を巡る。女の人生「アントマ墓」「マムヤの墓」
宮古のお墓は14世紀より昔のものも多く、足を踏み入れるとその時の様子を垣間見ることができる、興味深いものが多いですよね。多く手を加えていないところも、反対に当時を感じることができます。

 

そもそも、沖縄のお墓自体も全国的なものとは違う独特なもので、お墓自体がひとつの観光名所にもなっているほどですが、宮古のお墓は、沖縄のお墓とは違う、さまざまな様式のお墓が特徴です。

 

本文でお伝えする15世紀末に建てられたとされる、仲宗根豊見親墓と宮古アントマ墓に加え、知利真良豊見親の三基は、国指定の有形文化財にもなっています。

 

せっかく宮古に訪れるなら、ぜひ歴史をそのまま見ることができる宮古のお墓に触れたいですよね。そこで今回は、そんな宮古のお墓のなかでも、女性の人生を窺い知ることのできる、「宮古アントマ墓」「マムヤの墓」についてお伝えします。

 



 

宮古のお墓を巡る。
女の人生「アントマ墓」「マムヤの墓」

 

仲宗根豊見親の奥にある「アントマ墓」


宮古空港から車で行くと20分程度、漲水海岸が見える丘に鎮座するのが、宮古最大のお墓である「仲宗根豊見親の墓(なかそねとぅゆみゃのはか)」です。

 

豪族が支配していた当時、佐太大人(さたうぷんと)率いる与那覇軍を制し、宮古島を統一した目黒盛(みくらむい)から始まる一族が、後々敬愛の意味合いを持つ「豊見親(とぅゆみゃ)」と呼ばれるようになりました。

 

【 宮古のお墓、仲宗根豊見親の墓 】

 

★ この豊見親の時代、仲宗根豊見親が親を弔うために建てたお墓とされ、仲宗根一族の場所となっています。

 

・ さらに仲宗根豊見親の墓の南方の奥まったところに、身を潜めるように隠れているのが、「宮古アントマ墓」です。

 

ちなみに、もともと宮古島には昔からある風葬のお墓である「みゃーが」がありましたが、この仲宗根豊見親の墓は、これらのみゃーがとは違います。

 

宮古式のお墓「みゃーが」と沖縄本島式の亀甲墓などに見られる「横穴式」が折衷され、他の地域では見ることができません。

 

 

宮古のお墓、「アントマ墓」とは


仲宗根豊見親の墓は15世紀頃に建てられたお墓とされていますが、このアントマ墓は18世紀~19世紀に建てられました。十四世の玄安・玄盛がアントマ墓をきちんと築造したそうです。

 

【 宮古のお墓、「アントマ墓」 】

 

★ アントマとは「側室」を意味しています。当時、本妻とともに豊見親の墓に入ることができなかった側室たちが、このお墓に入りました。

 

・ 十四世玄安・玄盛は、側室の子どもでした。このことからも当時の女性の事情が窺い知れるのではないでしょうか。

 

宮古の歴史的背景は差し置いても、このアントマ墓は他にはない建築様式と、奥まったところにあり、草木が覆い茂る中に現れるたたずまいは美しく、「アンコールワット遺跡のよう」と例える訪問者もいるほどです。

 

 

美しさゆえの悲劇、「マムヤの墓」


宮古島の岬、東平安名崎(ひがしへんなざき)に大きな岩があります。これが宮古に訪れた美女「マムヤの墓」です。

 

【 宮古のお墓、マムヤの物語 】

 

★ 宮古の保良(ぼら)の村に大和から訪れたマムヤは絶世の美女と言われ、多くの人々から結婚を申し込まれました。

 

けれどもマムヤは断り続け、それでも求婚がやまないマムヤは東平安名崎の洞窟に身をひそめ、機を織り続けたのです。

 

そのマムヤを見つけた、保良の権力者の野底按司(あんじ)はマムヤとの「勝負」に勝ち、嫁としました。

 

ところが野底按司(あんじ)にはすでに妻子がいて、第一の妻はマムヤに辛く当たり、マムヤは居場所を失います。

 

「野底按司(あんじ)様、妻子がいらっしゃるのに、どうして私を妻にしたのですか。私と奥様では、どちらが大事なのですか。」

 

…そうマムヤは野底按司(あんじ)に尋ねました。すると周囲の助言も受けていた野底按司(あんじ)は、

 

「マムヤはニフニリ(香草)の良い香りがするが、最初の妻はフスユスバイ(糞尿)の臭いがする。それでも、どちらかと問われれば、やはり子どものいる最初の妻だ。」

 

…と答えたのです。

 

この言葉を聞いたマムヤは、宮古のマムヤのお墓がある東平安名崎の崖から身を投じてしまいました。

 

 

保良の村には、美女はもう生まれない?


この美女の宮古のお墓、マムヤの物語にはまだ続きがあります。「保良の村には美女が生まれない」と言うまじないです。(けれども実際には保良の村には、美人がたくさんいます。)

 

【 宮古のお墓、マムヤのお墓のまじない 】

 

★ マムヤが東平安名崎に身を投じた後、美人ゆえに起きた娘の悲劇を想った母親は、「こんな悲しい想いをする女性が、もう二度と現れませんように…。」と願います。

 

・ それ以後、美女が産まれることはありませんでした。

 

けれども、このまじないを解く方法がひとつだけあります。それは、女の子を妊娠した母親が、満月を映した東平安名崎に溜まった水を手で汲んで飲むと言うものです。

 

 

東平安名崎の絶景を楽しむ


宮古のマムヤのお墓がある東平安名崎は、宮古島の環境名所でもあり、その絶景は一見の価値があります。国指定の土地でもあり、東平安名崎から眺める海岸線と青く澄みきった海が見渡せるのです。

 

【 宮古、マムヤのお墓近くの灯台 】

 

★ マムヤのお墓の先には展望エリア、その先には春先のテッポウユリで有名な2kmも広がる植物楽園、その先には360℃のパノラマビューを楽しめる灯台が待っています。

 

・ 灯台に入ることができるのは朝の九時~午後四時半まで、大人120円、子どもだと20円!で入館できるので、ぜひ灯台まで入って見てはいかがでしょうか。

 

 

 

いかがでしたでしょうか、今回は宮古で訪れたいお墓、特に女性のお墓を中心にお伝えしました。宮古のお墓はマムヤのお墓のような巨石や「みゃーが」など、事前に知識を得るほど感慨深いものが多いです。

 

「みゃーが」とは宮古の古い昔の葬送方法、風葬の面影を残す大きな石で積み上げられた墓跡で、宮古の久松公民館近くの「久松みゃーが群」や「久貝みゃーが」などがあります。

 

全国的にもこの古来からの宮古のお墓の「みゃーが」や、琉球式のお墓と宮古のお墓を折衷したデザインである、仲宗根豊見親のお墓などを見つけることはできません。

 

本島から290km離れていた宮古島では、本島とは違う歴史を歩いてきました。お墓を調べていくと宮古の歴史に行きつき、その歴史はとても興味深いものです。

 

ぜひ宮古のお墓をきっかけにして、宮古や琉球の歴史を紐解いてみてはいかがでしょうか。

 

 

まとめ

女性が眠る、宮古のお墓

・仲宗根一族の側室たちが眠る「アントマ墓」
・奥まった場所にあるアントマ墓が美しい
・時の権力者の第二の妻となった「マムヤの墓」
・マムヤは居場所がなくなり東平安名崎に身を投げた
・東平安名崎で満月を移した水を汲んで飲む言い伝え
・東平安名崎は宮古の観光名所

 



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