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宮古のお墓を巡る。仲宗根豊見親墓と宮古アントマ墓

宮古のお墓を巡る。仲宗根豊見親墓と宮古アントマ墓
宮古には古来のお墓がいくつかあり、現代にも手が付かないまま、その面影を残しています。せっかく訪れた宮古島、そんなお墓であれば一度はその地を踏みたいですよね。

 

宮古島は158.87 km2と言う小さな敷地に、マムヤのお墓や四島の主墓(ゆすまぬすばか)などの複数のお墓や古墳、漲水御嶽(はりみずうたき)を代表とする多くの拝所となる御嶽がある地です。

 

そのなかでも「美しいお墓」と称される宮古のお墓が、「仲宗根豊見親墓(なかそねとぅゆみゃ)のお墓」と、後妻が祀られている「宮古アントマ墓」となります。

 

そこで今回は、ぜひ一度は訪ねてみたい宮古のお墓、仲宗根豊見親墓と宮古アントマ墓についてお伝えします。周辺には他にも知利真良親見墓などの史跡があるので、一緒に訪れてみてください。

 


遺骨・位牌の年間預り


 

宮古のお墓を巡る。
仲宗根豊見親墓と宮古アントマ墓

 

仲宗根豊見親墓に行く


漲水海岸の上部に広がる丘に鎮座するお墓が、平良にある仲宗根豊見親墓(なかそねとぅゆみゃのはか)です。

 

周囲には知利真良親見墓や宮古アントマ墓の他、宮古島で唯一「足を踏み入れることができる」御嶽として知られる漲水御嶽(はりみずうたき)や、人頭税石などの史跡があります。

 

【 宮古のお墓、仲宗根豊見親墓へのアクセス 】

 

住所: 沖縄県宮古島市平良西仲宗根真玉3-4

 

★ 船で宮古島へ訪れた場合、平良港からなら車で15分、飛行機で訪れた場合には、宮古空港から車で20分で辿り着きます。

 

宮古空港から約三キロ、宮古島市役所の北側にあります。

 

 

仲宗根豊見親墓とは


仲宗根豊見親墓の「豊見親(とぅゆみゃ)」は、首長を敬称した言葉で、「豊見親」は褒め称えることを表しています。仲宗根一族は15世紀~16世紀初頭に勢力を誇った一族です。

 

【 宮古のお墓、仲宗根豊見親墓とは 】

 

★ 15世紀末に宮古を制覇していた仲宗根豊見親が、父親の真誉之子豊見親(まゆのふぁとぅゆみゃ)のためのお墓を建てたのが、このお墓です。

 

・ 宮古島は本島から290キロの距離があり、当時は本島とは全く別の文化や歴史を辿っていました。

 

宮古を制覇していた仲宗根豊見親は、当時琉球王家に忠誠を示していて、八重山征伐・与那国征伐などを行っています。

 

そんな宮古と琉球王家の繋がりを感じさせる要素も見どころです。これについてはまた、後の項でお伝えします。

 

 

仲宗根豊見親墓は宮古最大のお墓


訪れた方々が「小さなピラミッドのよう…。」と表現するのが仲宗根豊見親墓です。昔、沖縄のお墓でよく使用された琉球石灰岩を使用した仲宗根豊見親墓は、115坪の敷地を誇ります。

 

【 宮古のお墓、仲宗根豊見親墓の本島との繋がり 】

 

★ 宮古のお墓は主に「ミャーカ式」なのですが、仲宗根豊見親墓ではこのミャーカ式と、亀甲墓で知られる本島地方の横穴式を組み合わせた様式です。

 

・ そのため、当時から宮古と本島地方で繋がりがあったことを証明しています。

 

琉球石灰岩の13段の階段が古代インカ帝国をイメージさせるとも言われ、その上には石柱が七基配置され、階段を降りると現在でも水を張ってある、井戸まで造られました。

 

 

宮古島アントマ墓


仲宗根豊見親墓のより奥まった南側に建つのが、宮古島の「アントマ墓」で、「美しい遺跡」とまで言われています。

 

草木に覆われたアントマ墓はアーチ状の岩が施してある入口を通る、他にはない構造のお墓です。

 

【 宮古のお墓、アントマ墓 】

 

住所: 沖縄県宮古島市平良西仲宗根3-32

 

★ 「アントマ」とは側室を意味し、豊見親墓に入ることができなかった側室ばかりが入ったお墓を指しています。

 

・ 仲宗根豊見親一族が支配していた時代のなかでも、このアントマ墓は、18世紀から19世紀の十二世玄似、十四世玄安・玄盛の時代に整備されているようです。

 

十四世玄安・玄盛は側室(アントマ)との間に生まれています。訪れた方の口コミでは中東アジアの遺跡のように美しいとも言われているので、ぜひ訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

知利真良豊見親の墓


仲宗根豊見親墓と隣り合っているので、ついでに訪れることができる他、そのお墓の様式は全く違うため、比較するためにも訪れてみたい場所が知利真良豊見親の墓(ちりまらとぅゆみゃのはか)です。

 

【 宮古のお墓、知利真良豊見親の墓 】

 

★ 仲宗根豊見親の三男である知利真良豊見親は、八重山を支配した人物で、「ツンプン墓」とも言われています。

 

・ 知利真良豊見親の子孫となる、宮金氏寛富が18世紀中期頃に建造したと言われ、宮金氏寛富は平良を頭でもありました。

 

ただ、整備があまり整えられていないため、雑草が生い茂っているかもしれません。

 

 

 

いかがでしたでしょうか、今回は宮古で訪れたいお墓、豊見親墓である仲宗根豊見親墓・宮古アントマ墓・知利真良豊見親の墓の三基をお伝えしました。

 

宮古島には多くの史跡や御嶽がありますが、その中でも昔の威厳を残すこれら三基は、ぜひ訪れてほしい史跡です。現在ではこの三つのお墓が国指定の有形文化財となっています。

 

沖縄には本島を中心に、独自のお墓である「亀甲墓」や「破風墓」があり、観光客も見学に訪れるものが数多くありますが、宮古のこの豊見親墓はどれも、他では見ることのできない、珍しく貴重なお墓です。

 

宮古独自の文化の歴史とともに、琉球との関わりまで知ることができるうえ、遺跡としての美しさも残しています。

 

ぜひ他の記事も参考にしながら、宮古の史跡巡りを楽しんでみてはいかがでしょうか。

 

 

まとめ

宮古島の三つのお墓

・宮古最大の大きさ、仲宗根豊見親の墓
・仲宗根豊見親が父を弔うために建てたお墓
・宮古と沖縄本島の様式を折衷した建築様式
・側室だけを集めたアントマ墓
・仲宗根豊見親の三男が眠る知利真良豊見親の墓
・国指定の有形文化財

 


お墓の引越し、改葬・墓じまい


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