宮古のお墓に伝わるマムヤの伝説!美女に起きた悲劇とは
宮古にはお墓が数多くありますが、なかでも観光の定番、東平安名岬(ひがしへんなざき)にある、宮古の「マムヤのお墓」は悲劇の物語とともに、広く知られるようになりましたよね。
宮古のお墓の多くは、「仲宗根豊見親の墓」や「四島の主墓」など、宮古やその土地を統治した権力者のお墓が多く、歴史的背景が興味深いのですが、このマムヤのお墓は物語を知ってこそ、味わいがあります。
そのためマムヤのお墓では、マムヤの美しさが分かる女性の絵が置かれているのです。
宮古にはマムヤのお墓の物語の他にも、多くの言い伝え(昔ばなし)が残っているので、マムヤの物語をきっかけに、多くの宮古のお話に親しむのも興味深いのではないでしょうか。
そこで今回は、観光名所である東平安名崎に佇む宮古のお墓、マムヤの物語をお伝えします。
宮古のお墓に伝わるマムヤの伝説!
美女に起きた悲劇とは
宮古のお墓の物語、保良(ぼら)の村に住む美女
その昔、宮古島は「按司(あじ)」と呼ばれる豪族達が権力を持っていた時代、保良の村に絶世の美女が住んでおり、この娘は「マムヤ」と言い、大和の国から落ち延びた平家の女性でした。
【 宮古のお墓、美女マムヤ 】
★ その美しさは島中で評判になり、多くの役人や権力者たちが列をなして求婚したと言われています。
・ また当時の女性にしては珍しく、マムヤは香草(ニフニリ)の芳香を漂わせ、男性を魅了する女性だったのです。
ここで諸説に分かれ、最も多く伝えられているのは「ひとりでいたいから…。」と、岬の中腹にある洞窟に身を隠し、機を織るようになりました。
宮古のお墓の物語、マムヤと崎山の坊の勝負
そんなマムヤの元へ訪れたのが、現在の城辺地方の領主であった野城の按司(あじ)、「崎山の坊」です。
崎山の坊は魚釣りの途中、岬のどこかから機織りの音を聞きつけます。岬の上に上ると下の方から機織りの音が聞こえ、岬の下へ回ると上から音が聞こえる…。
そこで岬の中腹に見つけた洞窟へ行ってみると、島一番の美女であるマムヤがいたのです。
そこで「ここにいてもいずれ他の者が見つける。それならいっそのこと…。」と、崎山の坊が勝負を申し出て、マムヤはその勝負を受けました。
【 宮古のお墓、マムヤと崎山の坊の勝負 】
★ 東平安名崎から西平安名崎の狩俣村まで、崎山の坊は珊瑚の石を積み上げて石垣を積み、マムヤは織っていた芭蕉の糸を繋いで行く、と言う勝負です。
・ 崎山の坊は家来や百姓を総動員して、狩俣村まで珊瑚の石を積み上げました。マムヤも芭蕉の糸を繋いで行きましたが、わずかながら狩俣村に届かなかったのです。
こうしてマムヤは崎山の坊の妻となりました。
宮古のお墓の物語、崎山の坊とおじさん
島一番の美女であるマムヤを射止めた崎山の坊は嬉しくてたまらず、そのマムヤを連れ歩いては自慢しました。そしてあるおじさんの家に行った時のことです。
【 宮古のお墓、崎山の坊とおじさんの会話 】
★ そこで崎山の坊はこう言いました。
「おじさん、わたしの妻は糞尿の臭いがするのに、どうでしょう!このマムヤは香草(ニフニリ)の芳しい香りがする。」
・ そこでおじさんはこう答えます。
「崎山の坊よ、確かに今は若くて美しくニフニリが香るマムヤが愛しい(かなさん)かもしれない。」
「けれども子どもがいる先の妻の方が良いと、その内に想うようになるでしょう。」
そうです、崎山の坊にはすでに妻と子どもがいて、マムヤは第二の妻だったのです。
宮古のお墓の物語、マムヤの悲劇
崎山の坊にすでに妻子がいたことを知ったマムヤは飛出し、東平安名崎の洞窟へ向かいました。けれども崎山の坊に見つかってしまいます。
【 宮古のお墓、マムヤの悲劇 】
★ そこでマムヤは崎山の坊に問いかけました。
「あなたは私を妻にすると言いましたが、あなたにはすでに妻子がいました。なぜ妻子がいながら私を妻にすると言ったのですか?
私と奥様とどちらを選ぶのですか?」
・ すると崎山の坊は答えます。
「確かに妻は糞尿の臭いがするが、どちらかを選ばなければならないとしたら、糞尿の臭いがしても子どものいる妻だ。」
それを聞いて悲しんだマムヤは、平安名崎の岬から身を投げてしまいました。身を投げた際にマムヤの頃もが崖に引っかかり、その衣がたなびく様子を見て、村人達も悲しんだと言われています。
宮古のお墓の物語、マムヤの祈り
実はこの時、身を投げる前にマムヤは自分の美貌を呪い、このような悲劇を繰り返したくないと、神へ祈っていました。
【 宮古のお墓、マムヤの祈り 】
★ 「このようなことになったのは、私が美しかったから…。どうか保良の村の娘たちに、私のような辛い想いをさせないでください。保良の村に、美しい娘が現れませんように。」
・ このマムヤの祈りから、保良の村にはその後、美しい娘が産まれなくなったと言われています。
ただ、このまじないにはひとつだけ、祈りを解く術がありました。それは女児を妊娠したら、東平安名崎の芝生の窪みに溜まった水に満月が映った時、その満月を手ですくって飲むことです。
そのためか、今では保良の村には目鼻立ちのハッキリした沖縄美人が多く見られます。
いかがでしたでしょうか、今回は宮古のお墓でも景勝地にある東平安名先にある、マムヤのお墓の物語をお伝えしました。
実はこの物語には諸説あり、今回はその一説をお伝えしました。他の説ではおじさんと崎山の坊の会話を聞き、崎山の坊に妻子がいたことを知ったマムヤが、岬中腹の洞窟に隠れた、と言うお話もありました。
その他にも、勝負に負けて崎山の坊の妻となり、共に暮らすようになったものの、城に行ってみると先に結婚していた妻子がいた、…と言う説もあります。
この説でのお話では、先に結婚していた第一夫人がマムヤにとても意地悪で、その意地悪に耐えられなくなったマムヤが、崎山の坊に「どちらが大切か。」と聞いたとされていました。
また、最後のマムヤの祈りはマムヤ自身ではなく、娘の死を悲しんだ母親の祈りだったとのもあります。
いくつかの説を比較して検証するのも、昔ばなしの面白いところですので、ぜひさまざまな説も一緒に読んでみてはいかがでしょうか。
まとめ
マムヤのお墓に伝わる物語とは
・マムヤは保良の村に住む美女だった
・求婚を避けるため、洞窟に隠れた
・勝負に負けたマムヤは崎山の坊の妻になる
・ところが崎山の坊にはすでに妻子がいた
・悲しんだマムヤは東平安名岬で身を投げる
・「保良の村に美女は産まれない」祈りを掛けた
・満月の夜に岬の水を飲むとマムヤの祈りが解ける