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宮古の漲水御嶽に残る物語。知ると深みが増す創世神話

宮古の漲水御嶽に残る物語。知ると深みが増す創世神話
宮古の漲水御嶽は、多くある八重山諸島の拝所のなかでも、最も格式の高い霊場と言われる存在ながら、観光客でも受け入れてくれる数少な場所です。宮古を訪れたなら、まず挨拶をしたいですよね。

 

ただ、男子禁制が多い宮古の御嶽のなかにおいて、男性も部外者である観光客も受け入れてくれるため、カジュアルなイメージも持ちがちですが、挨拶に訪れる前にはきちんと知識も持ちたいところです。

 

実は宮古創造の地が漲水御嶽と言われ、この拝所には宮古創造の神、コイツノ(男神)とコイタマ(女神)が降り立った場所として、宮古創造の神話が残されています。

 

そこで今回は、十八世紀初めの「御嶽由来記より、まず挨拶に訪れたい宮古の御嶽、漲水御嶽の由来となる宮古創造の神話をお伝えします。

 

どのような場所なのかを知って訪れると、より興味深いものとなるはずです。ぜひ、参考にしてください。

 



 

宮古の漲水御嶽に残る物語。
知ると深みが増す創世神話

 

宮古の漲水御嶽、夜虹橋(ヨノズバス)


天界にいる帝、天の帝(アメノテダ)はまず、弥久美神(やぐみのかみ)と言う神を呼びました。

 

【 宮古の漲水御嶽神話① 夜虹橋 】

 

★ そして岩柱を少し折ると弥久美神(やぐみのかみ)に伝えます。「風水の良いところを選び、この岩柱を使って、島を作ってはくれないか。」

 

・ すると弥久美神(やぐみのかみ)は天の橋である「夜虹橋(ヨノズバス)」から地球を見渡し、手頃な場所を見つけるとその岩を投げたのです。

 

岩は一瞬粉々に砕け散ったものの一枚岩となって、宮古島となりました。島を見た天の帝(アメノテダ)はこの岩に赤土を降らせ、宮古島となります。

 

 

宮古の漲水御嶽、島の守護神


宮古島ができあがると今度はコイツノ(恋角・古意角)を呼び、「島へ降りて守護神となりなさい。」と告げます。

 

【 宮古の漲水御嶽神話② 陰と陽 】

 

★ ところがコイツノは天の帝にこう申し立てるのです。「おそれながら、わたしには足りないものがございます。」

 

「あなたは五体満足、全て備えているのに、これ以上何が不足と思うのでしょうか。」と天の帝がコイツノに問うと、コイツノは答えました。

 

・ 「全てのものに陽があれば陰があり、陰があれば陽があります。(私は男の神ですが、男一人では創世はできません。どうぞ女神の供を私につかわしてください。)」

 

それを聞いた天の帝は、コイツノにコイタマ(恋玉・姑依玉)と共に宮古島に降りるよう命じたのです。

 

 

宮古の漲水御嶽、鬼との戦い


かくしてコイツノとコイタマは虹色の雲に乗り、盛加神(もりかのかみ)をはじめとする剛力の神々を従えて、宮古島へと向かいました。

 

けれどもその道中には、天から追い出された鬼たちが立ちふさがり、女神コイタマを連れ去ろうとしたのです。

 

【 宮古の漲水御嶽神話③ 白ご飯 】

 

★ 剛力の盛加神(もりかのかみ)は、天の矛を使って全滅させようとし、火を扱う美真瑠主神(ピマルのかみ)は焼きつくそうとしました。あまびせの神は豪雨で流そうとします。

 

・ けれどもコイツノは違いました。彼らを押さえると鬼たちに白ご飯を与えたのです。

 

これで鬼たちはコイツノ一行を通しました。宮古島に降りついたコイツノとコイタマは、「漲水天久崎(ぴゃるみずあめくざき)」に居を構えました。

 

 

宮古の漲水御嶽、農地開拓


宮古島に居を構えたコイツノとコイタマは、宗達(むにだる)と嘉玉(かだま)の男女二人の子どもを産み、島を耕しました。

 

【 宮古の漲水御嶽神話④ 黒土 】

 

★ けれども赤土に覆われた宮古島は耕せど耕せど、何も育ってはくれません。二柱はただただ、途方に暮れるばかりとなりました。

 

・ これを見た天界にいる天帝は二柱を想い、黒土を降らせました。黒土は赤土と違い良く肥え、農作物を育てるのにはピッタリです。

 

お陰で宮古島には粟がよく育ち、たわわに実る季節を迎えることができました。

 

 

宮古の漲水御嶽、子孫繁栄


こうして農地を耕すことができ、子どもも次第に大人になり思春期を迎えます。そこで天帝は男神である木装神(きふそうのかみ)、女神の草装神(ふさふそうのかみ)を宮古島へ降ろします。

 

木装神(きふそうのかみ)は秋の紅葉を身にまとい、草装神(ふさふそうのかみ)は春の青草をまとっていました。

 

【 宮古の漲水御嶽神話④ 土地分け 】

 

★ その行為をコイツノとコイタマは有難く受け止め、宗達(むにだる)と草装神(ふさふそうのかみ)、嘉玉(かだま)と木装神(きふそうのかみ)は、それぞれ夫婦となったのです。

 

・ そして宗達夫婦は宮古島の西方となる西仲宗根を、嘉玉夫婦には宮古島の東方となる東仲宗根を分け与えます。

 

さらに日が経ち、宗達夫婦の間に世直真主(よなねしのまぬず)と言う名の男の子が産まれ、嘉玉夫婦の間に素意麻娘司(そいまらつかさ)と言う名の女の子が産まれました。

 

世直真主と素意麻娘司は大きくなると結婚し、宮古に人々が増えていったのです。

 

 

 

いかがでしたでしょうか、今回は宮古の御嶽のなかでも観光客が訪れやすい拝所でもある、宮古の漲水御嶽に残される伝説、宮古創造の物語をお伝えしました。

 

物語の中でコイツノとコイタマが宮古に居を構えた「漲水天久崎(ぴゃるみずあめくざき)」は、現在はすでに埋め立てられていてありませんが、昔は漲水御嶽の東側にあった岬でした。

 

そのため漲水御嶽は天地創造の神であるコイツノとコイタマが降り立つ場所として、八重山諸島のなかでも格別に格式の高い霊場として、地元の人々に知られています。

 

宮古を守護する神様ですから、宮古島に訪れたらぜひ挨拶に訪れてみてください。そして自己紹介をして、島に来た目的とともに、その旅の守護を祈願すれば、きっとその旅を安全なものに導いてくれるはずです。

 

 

まとめ

漲水御嶽、宮古創世の神話

・弥久美神が岩柱の端を落とすと島になった
・天帝が島を赤土で覆った
・宮古の島建てに古意角を命名した
・陰陽が必要だと、古意角は女神を要望した
・古意角と古意玉が降り立った地が漲水御嶽の東側
・田畑を耕し子孫繁栄を行った

 



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