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【宮古の御嶽】旧市街地の平良綾道①フサティ御嶽の物語

【宮古の御嶽】旧市街地の平良綾道①フサティ御嶽の物語
宮古には御嶽や史跡が数多くありますよね。海や南国情緒を楽しむ旅も良いですが、時には史跡を巡るのも興味深い収穫があります。

 

宮古の御嶽は基本的には「むやみに拝所まで立ち入るものではない。」とされており、特に男性禁制の宮古の御嶽も少なくありません。けれども拝所まで立ち入らなくとも、昔ながらの宮古を思わせる風情があります。

 

宮古の史跡や御嶽を知り、敬意を持って訪れることで、宮古により深く関わることができますし、より思い出深い旅になるのではないでしょうか。

 

そんな宮古の御嶽や史跡巡りでぜひ歩いて欲しいのが、旧市街地の平良(ピサラ)の綾道(アヤンツ)です。そこで今回は、平良綾道から訪れる、フサティ御嶽とその物語をお伝えします。

 


遺骨・位牌の年間預り


 

【宮古の御嶽】旧市街地の平良綾道①
フサティ御嶽の物語

 

宮古の御嶽が並ぶ、平良綾道とは


2002年頃、当時の平良市が作成した平良綾道マップ、平良は「ぴさら」と言い人が住みやすい土地を差し、綾道は「アヤンツ」と読み、美しい道の意味合いがあります。

 

【 宮古の御嶽、平良綾道 】

 

★ 旧市街地を巡る綾道は、平良市役所から出発して住屋御嶽(すみゃーうたき)、漲水御嶽などから始まり、人頭税石(じんとうぜいせき)、廻って、今回お伝えするフサティ御嶽などを通ります。

 

・ 最後は平良市役所(北小学校側)に戻り住屋遺跡(すみゃーいせき)で終了、全部で28箇所の遺跡を巡る綾道です。

 

フサティ御嶽がある平良市西仲宗根には、宮古で最も大きいお墓である仲宗根親豊見親の墓やアントマ墓の他、宮古を訪れたらまず挨拶すると良い、と言われる漲水御嶽など、名所が数多く密集しています。

 

 

フサティ御嶽とは


この平良綾道を漲水御嶽側からまわると、平良市のマップでは20番目になるのがフサティ御嶽なのですが、実は標識には「保里遺跡」と記されています。

 

昔からある御嶽で、威部(イビ)と呼ばれる拝所が安置されているだけですが、御嶽は宮古の方々にとっては聖域です。

 

【 宮古の御嶽、フサティ御嶽 】

 

★ 威部(イビ)には主神としてテダノ主神、脇神として水神トビトリノ神が鎮座しています。

 

・ 14世紀に栄えた保里天太(ほさとてぃだ)が建てた城跡とされていますが、この保里天太の城は後に糸数城の一部になったと記す書物もあります。

 

「保里」を宮古の方言で言うと「フサティ」です。周囲には芋を宮古島や伝えた長真氏旨屋を祀った「芋ヌ主御嶽」や、宮古の鍛冶・農業の兄妹神を祀る「船立御嶽」があります。

 

宮古の御嶽は「むやみに入らない」とも言われる神聖な場所ですので、「保里遺跡」の標識がある道から奥に進むのがためらわれた時には、入口を眺めるだけでも良いかもしれません。

 

 

宮古のフサティ御嶽、嫡男の抵抗


14世紀、保里城の城主であった保里天太には二人の息子がおり、嫡男を保久利屋盛、二男を居土佐加利と言いました。

 

本来であれば嫡男である保久利屋盛が家督を継ぐものですが、保久利屋盛は怠け者であるのに対し、二男の居土佐加利は兵法の達人である上、容姿も器量も良く育ちます。

 

そのため、保里天太は日頃から次男の居土佐加利に家督を継がせると日ごろから話していました。

 

【 宮古のフサティ御嶽、嫡男の策略 】

 

★ 兄の保久利屋盛は、「弟が家督を継ぎ、自分が弟に仕えることは末代までの恥!」と考え、策を練ったのです。

 

・ 保里城内でも力のある老父達にこう嘘の吹聴をします。

 

「私の弟はあなた方の娘達を、ぶとぅら井への水汲みの道すがら強姦している。あなた方の娘達は、世のすさびものになってしまうでしょう。

 

それなのに私の父は弟に騙され、弟に家督を譲ろうとしています。おごり高ぶっている弟が天太になれば(天太は領主の敬称)、どうなるか分かるでしょう。

 

今戒めなければ、あなた方は必ず後悔するはずです。」

 

老父達は兄である保久利屋盛の言葉を信じ、弟の居土佐加利を捕えることにしました。

 

 

宮古のフサティ御嶽、保里天太の追放


嫡男保久利屋盛の策略を知った二男の居土佐加利は、老父達に捕えられる前にいち早く城から逃げ出します。そして城辺の箕の隅と呼ばれる山里でひっそりと暮らします。

 

【 宮古のフサティ御嶽、嘆く保里天太 】

 

★ 可愛がっていた二男の居土佐加利が城から逃げた後、父である保里天太は嘆き悲しみながら暮らすようになり、そのまま年老いていきました。

 

・ 兄弟の家督争い以降、嫡男の保久利屋盛は父につらく当たるようになります。そしてとうとうある日、父の保里天太は、嫡男に城を追われてしまったのです。

 

城を追放する際に嫡男の保久利屋盛は、父の保里天太に噂で聞き伝わっていた弟の居場所を告げ、弟と一緒に暮らすことを進言しました。

 

けれども父の保里天太は二男の居土佐加利の家に行く途中で倒れ、亡くなってしまいました。

 

 

 

いかがでしたでしょうか、今回は平良綾道(ぴさらアヤンツ)で巡る史跡のひとつ、宮古のフサティ御嶽の物語をお伝えしました。フサティ御嶽はこの家督争いが繰り広げられた保里城跡です。

 

本文中でも少し触れましたが、「保里遺跡」の標識から続く山道は不思議な空気が流れ、自然の畏怖を感じる方もいるほどです。草木がうっそうと茂っている高台にあります。

 

大きなガジュマルの前に安置されたイビには、ティダノ神・水の神・トビトリノ神と書かれていて、その奥には横長の鏡が鎮座していました。

 

正月には「うがん・んつ開け願い」、三月の「ダミ」の他、六月の「ユーダミニガイ」や九月「ユークィニガイマウサギ」と、年間行事となっている、いくつかの御願行事があります。

平良綾道にある他の多くの遺跡や宮古の御嶽も含め、それぞれの歴史や物語、由来を知ることで、訪れた時に全く意味合いが違うものになるのではないでしょうか。

 

 

まとめ

フサティ御嶽の物語

・宮古には平良綾道と言う史跡巡りの道がある
・フサティ御嶽は14世紀の領主の城跡
・跡継ぎ争いで長男の策略に合う
・次男は逃げ、城主(保里天太)は追放される
・次男の元へ逃げる途中、城主は亡くなる

 


お墓の引越し、改葬・墓じまい


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