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【沖縄の昔話】海神を祀る白銀堂。糸満市に伝わる由来とは

【沖縄の昔話】海神を祀る白銀堂。糸満市に伝わる由来とは
沖縄の昔話には、その土地にまつわるものや御嶽(うたき)の由来となる物語も多いですよね。沖縄本島の南部、糸満市の漁港近くに「白銀堂(はくぎんどう)」と言う御嶽があります。

 

そもそも「御嶽(うたき)」とは、沖縄の神職の方々が拝む対象となる拝所です。沖縄の昔話にもなっている白銀堂は、地元の方々にも信仰が厚く、お正月には初詣で賑わい、元旦にはお酒も振舞われています。

 

白銀堂の鳥居をくぐると岩穴を祀るイビ(拝む場所)があり、今ではむやみに入ることができないよう囲いを設けていますが、お賽銭を入れることもできる、神職だけではなく、一般庶民にも親しまれている拝所なのです。

 

そんな白銀堂、せっかく訪れるなら沖縄の昔話まで紐解くと、より心を込めて拝むことができますよね。そこで今回は、沖縄糸満市、糸満漁港近くに鎮座する御嶽、白銀堂の由来となる、沖縄の昔話をお伝えします。



 

【沖縄の昔話】海神を祀る白銀堂。
糸満市に伝わる由来とは

 

糸満村に越した、美殿(みどぅん)


この白銀堂の御嶽は、冒頭でもお伝えしたように、「岩穴」がいつしか拝所として守られてきた場所です。この岩穴が御嶽となった由来話には、「美殿(みどぅん)」と言う青年が出てきます。

 

青年はもともと西原間切幸地村育ちだったのですが、漁師を目指して、白銀堂近くの糸満村に移り住んできました。

 

【 沖縄の昔話、サバニが欲しい美殿 】

 

★ 漁師として生計を立てたい美殿は、サバニが欲しいけれどお金がありません。そこで、薩摩の児玉宗左衛門(こだまそうざえもん)にお金を借りることにしたのです。

 

・ 無事にお金を借りてサバニを用意することが出来た美殿は、張り切って漁に精を出すのですが、悪いことに悪天候が続き、なかなか借金を返せるほどのお金を稼ぐにいたりません

 

ちなみに「サバニ」とは木の船のことで、毎年沖縄で行われる「ハーリー」の行事では、このサバニに人々が乗ってレースを展開します。沖縄の一大行事のひとつでもあり、現代でも沖縄の人々に馴染みの深い船です。

 

 

危機一髪!借金取り立て日!


なかなか満足な漁が出来ず、美殿は返済の当てもないまま、借金返済当日がきてしまいます。そして、とうとう薩摩の児玉宗左衛門が琉球の糸満村までやってきました。

 

【 沖縄の昔話、美殿がいない! 】

 

★ ところが約束をして訪れたと言うのに、児玉宗左衛門が家を訪れてみると、目当ての美殿がいません

 

・ 児玉主左衛門は必死で周辺を探し回ります…。すると、海岸のある岩穴のなかに美殿が隠れていたのです!

 

やっとのことで探し当てた児玉宗左衛門は、「何と!お金を借りておきながら、約束の日に隠れているとは何事か!」と怒りに任せて刀を抜きだしました。

 

「待って!待ってください!」怯えながら美殿は弁明します。

 

 

「手ぬ出らー、意地引き」


けれども児玉宗左衛門は怒りに任せていますから、美殿の言葉は聞こうとしません。「お金を用立てられず、どうにもならずにここに隠れていたのです!」そう言う美殿に「だまれ!いつまで待たせると言うのか!」と迫ります。

 

「けれども今は漁が上手く行くようになりました。もう少しお待ちいただければ、きっとお金は返すことができます。どうぞ、もう少しお待ちください!」…もちろん、児玉宗左衛門の怒りは収まる訳がありません。

 

【 沖縄の昔話、咄嗟に出たことわざ 】

 

★ そこで思わず美殿は言います。

 

「 意地ぬ 出らー 手引き、手ぬ 出らー 意地引き」(いじぬ んじらー てぃーひき、てぃーぬ んじらー いじひき)

 

・ 思わず出た美殿のことわざに、児玉宗左衛門は心動かされ、とうとう怒りをおさめて刀をしまいました。「確かにそれは言い得ている。」と、考えさせられた児玉宗左衛門は、返済日も翌年まで延ばすことにしたのです。

 

…ではこの怒りの真っただ中にいた児玉宗左衛門をもおさめることわざ、「意地ぬ 出らー …」とはどのような意味だったのでしょうか。

 

それは、「怒りに負けたら手を出すな、手を出すのなら怒りをおさめよ。」と言う意味合いだったのです。

 

 

薩摩に帰った児玉宗左衛門


沖縄の昔話では、児玉宗左衛門はその夜遅くに薩摩の家に帰ります。深夜に家に着き、嫁を起こさぬようにそーっと寝床に行くと、何と嫁が間男と一緒に枕を並べているではありませんか!

 

【 沖縄の昔話、枕を並べる間男 】

 

★ 児玉宗左衛門は怒り狂い、寝ている二人に刀を振り上げました。…とその時、ふと先ほどの美殿の言った、あのことわざを思い出したのです。

 

・ 思い出した時、児玉宗左衛門は怒りの感情が静かにおさまり、刀もまた、鞘に戻すことにしました。

 

その後、気配を感じてか嫁が目を覚まします。…と間もなく、間男も目を覚ましたのですが、何と、よくよく見るとその間男は、児玉宗左衛門の母でした。

 

児玉宗左衛門の母、息子が琉球に行っていていない間、嫁が襲われることのないよう、男の恰好をして隣に眠っていたのです。

 

全てを知った児玉宗左衛門は「私の間違えで嫁と母を切らずに済んだ…。」と胸を撫でおろし、そのことわざを伝えた美殿に恩義を感じました。

 

 

さぁ、翌年の借金返済日


さて、翌年に延ばした借金の返済日です。児玉宗左衛門が約束したまま、はるばる琉球の糸満村にやってきます。そこにはしっかり、美殿が返済金を用意して待っていました。

 

【 沖縄の昔話、恩義を感じる二人 】

 

★ 美殿はお金を児玉宗左衛門に渡しましたが、美殿に恩義を感じていた児玉宗左衛門は「お前のお陰で嫁と母を殺さずに済んだ。お金には代えられない、大切なものを助けてもらったから、これは受け取らない。」と言うのです。

 

・ けれども美殿もまた、返済を翌年まで延ばしてもらったことへの恩義を感じていました。「いやいや、これは返さない訳にはいかない…。」しばらく二人は押し問答を続けます

 

長く押し問答が続いた晩、ついに、「それではあの岩穴にお金を埋めて、お互いの気持ちを表そう。」と言うことで決着が付きました。

 

そしてお金が埋められた岩穴は、糸満村の人々に「白銀堂」と呼ばれるようになるのです。そしていつしか神のいる聖地となり、現在のように地元の人々に親しまれる御嶽となりました。

 

 

 

いかがでしたでしょうか、今回は沖縄県糸満市にある「白銀堂」にまつわる、沖縄の昔話をお伝えしました。漁港で栄え「糸満市場」もあるこの地域では、サバニで競争する「ハーリー」も盛んです。

 

白銀堂に訪れると、鳥居はあるものの本州のような本殿はありません。他県の方は驚くかもしれませんが、岩穴にイビと呼ばれる拝みのための石が置かれています。

 

現在は囲いが設けられ、誰でも気軽に入れませんが見ることはでき、お賽銭箱にお賽銭を入れて、神社に拝むように拝むことができます。

 

糸満市へ新しく引っ越してきたり、他の沖縄の拝所を巡る時には、白銀堂を訪れて「〇〇から来ました、〇〇です。」と自己紹介をする方も多いです。糸満ロータリーからすぐ近くなので、ぜひ、訪れてみてはいかがでしょうか。

 

 

まとめ

糸満市白銀堂にまつわる昔話

・漁師をする美殿はサバニのために借金をする
・けれども借金を返済できなかった
・貸した児玉宗左衛門は怒りで刀を抜く
・すかさず美殿はことわざを言う
・それは「怒りにかまけて手を出すな」と言うもの
・この言葉で、児玉宗左衛門は嫁と母を切らずに済んだ
・恩を感じた児玉宗左衛門はお金はいらないと言った
・そのお金を岩穴に埋めることにする
・その岩穴がいつしか白銀堂となった

 



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