観音様は子どもの守護神☆観音巡り8つの拝所【2019年2月20日更新】
沖縄では観音様は、子どもの守り神ですよね。子どもが病気になった時、心配な時…、観音様へ拝みを捧げる家庭もあります。
また、床の間に観音様の掛け軸などを祀っている家庭では、「正五九月の御願」と言って、毎年一月・五月・九月の十八日に行ってきました。「十八日」と言うのは観音様の「縁日」で、最も観音様にお近づきになれる日、ご縁のある日なのです。
これだけでも充分ですが、家庭によっては、もしくは祈願の内容によっては、観音様を参拝したり、「観音巡り」の御願を行うこともあります。
子どもに関する心配事があれば、観音巡りをして、少しでも想いを届けたいですよね。正五九月の一月に当たる、旧暦一月十八日は、新暦2019年では2月22日(金)!気になる事がある方は、祈願をしておくと、少しでも安心できますよね。
そこで今日は、沖縄では子どもの守り神として拝まれる、観音様を巡る「観音巡り」、多くの観音様のなかから八つの拝所(うがんじゅ)をお伝えします。
観音様は子どもの守護神☆
観音巡り8つの拝所
鏡水のミーヌシン
「儀間村の観音堂」として親しまれてきた観音堂が、鏡水のミーヌシンです。
【 鏡水の観音様、ミーヌシン 】
☆ 現在では霊石である「ビジュル」を祀ったガマとされていますが、もともとは聖観音を祀っていた観音堂でした。
・ …ただ一時期アメリカ軍基地になっており、現在では陸上自衛隊基地の敷地内にあります。そのため、基地で受付をして進まなければなりません。
戦時期は兵士の帰還を願う拝所でしたが、今では安産・子育ての拝所(うがんじゅ)として有名です。
首里観音堂
沖縄県那覇市首里、都ホテル近くにあるのが首里観音堂と言う名で親しまれている、「慈眼院」です。この周辺は他にも水子菩薩様で有名な達磨寺があり、日ごろから多くの子どもに関する祈願事で訪れる方も多いのではないでしょうか。
【 首里の観音様、首里観音堂 】
☆ 首里の観音様、首里観音堂と言えば、航海祈願や旅御願(旅の安全への祈願)で有名ですが、家内安全や健康祈願でも参拝します。
・ 「首里十二か所巡り」には必ず数えられる有名な観音様で、干支の守り本尊(子・丑・寅・辰・巳・午)です。虚空蔵菩薩や勢至菩薩が祀られることから、受験時期の合格祈願に訪れる方々も見受けます。
また、同じく首里観音堂に祀られている薬師如来は、病気の人々を治すとされるため、子どもの病気に関する拝み処としても知られています。本格的な沖縄の御願ができるような配慮も、多くの人々が訪れる理由かもしれません。(下の写真のような、沖縄の御願への配慮が見受けられます。)
1618年の建立とされ、人質に囚われた尚豊公(しょうほうこう)の帰還を願って、尚久公(しょうきゅうこう=父)が建てたと言われています。
奥武観音堂
奥武島(おうじま)にある奥武観音堂(おうかんのんどう)は、奥武島では長く信仰されてきた観音様です。沖縄の観音巡り「琉球七観音」を行う方々のなかでは、「奥武の母観音」と言われています。
ちなみに、対をなす「父観音」は名護市久志の「ティラヌタンメー(お寺のおじぃちゃん)」、久志観音堂の観音様です。
【 奥武島の観音様、奥武観音堂 】
☆ もともとは漂流した中国の船の乗組員が、島でおもてなしを受け無事に帰還した後に、金色の観音様を贈ったことが始まりとされています。
・ この金色の観音様は戦前まで大切に祀られてきました。けれども今はその姿はなく、陶で作られた観音様ですが、今でも奥武島の人々を中心にして、各地の人々が訪れます。
島の守護神として信仰されてきた奥武の観音様は、毎年ハーリーで御願を行うのが恒例です。
宮城のカミヤーグァ
宮城のカミヤーグァは、「宮城御殿(ナーグスクドゥン)」、「クァンニン」などとも呼ばれる、うるま市与那城宮城の観音堂です。
【 うるま市与那城の観音様、カミヤーグァ 】
☆ カミヤーグァは宮城区民の子ども達の守り神…、病弱な子どもや問題のある子ども(親との相性が悪いとされます。)がいると拝みにきます。
・ 宮城の守護神の向かって左にヒヌカンが祀られ、右にカミヤーグァが祀られますが、実は以前に盗難にあってしまいました。
それでも今でも旧暦一月には「クァンニンの拝み」行事が行われ、家内安全や子どもや家族の健康祈願が行われます。
嘉手刈の観音堂
おなじくうるま市でも石川地域の観音様がいらっしゃる拝所が、嘉手刈の観音堂です。
【 石川の観音様、嘉手刈の観音堂 】
☆ もともとはとある僧侶が金武の海岸(福花=ふっか)に漂着し、建立された観音様だとか…、災害に遭遇する度に移されて、嘉手刈に落ち着きました。
・ 観音菩薩と如来像が祀られ、沖縄の旧暦九月に行われる拝み行事、「カミウガミ(神拝み)」で巡る拝所のひとつにもなっています。
伊是名の観音堂
伊是名地域の観音様は、伊是名原の岬にある「伊是名の観音堂」に祀られています。
【 伊是名の観音様、伊是名の観音堂 】
☆ 伊是名の観音様は観音様の権現のなかでも、多岐に渡る願いを叶える千手観音様です。
・ もともとはヒジュル(霊石)でしたが、1988年に千手観音様を祀るようになりました。
伊是名村では旧暦2・5月にこの観音様への拝み行事があります。
久志の観音堂
沖縄県内で唯一、沖縄戦での被害の逃れ残された石像の観音様が残されているのが、名護市にある久志の観音堂とされています。前述したように、奥武観音堂の観音様と対をなして、「久志の父観音」と言われ、「ティラヌタンメー(寺のおじぃちゃん)」として、親しまれてきました。
【 名護市の観音様、久志の観音堂 】
☆ 今ではそれぞれの家庭での拝み行事が中心になりましたが、つい最近(30年前後前)までは、一月・九月の集落の拝み行事が見られました。
・ 一月の「ハチウガミ(初拝み)」では、集落の主婦が集まり拝み、九月の観音様の拝みでは、その年に産まれた子ども達の健康をノロが拝みました。
戦後しばらくは、ノロや神女による拝み行事があったものの、最後のノロが亡くなった1983年以降は、個々の拝み行事へと変化していったようです。
喜名の観音堂
金武の観音堂より観音様の霊を分霊してもらい(勧請かんじょう)、祀られた観音様が喜名の観音様です。
【 読谷村喜名の観音様、喜名の観音堂 】
☆ …ただ、こちらの観音様は戦後にいつの間にか無くなってしまい、今ではお堂のみが残されています。
・ けれどもお堂に今でも観音様は残っているとされ、毎年旧暦9月18日には地域の拝み行事が営まれています。
いかがでしたでしょうか、今日は観音様を巡る拝み行事、「観音巡り」で立ち寄ることの多い、本島など8箇所の観音様の拝所をお伝えしました。
最後の喜名の観音様は千手観音様で、同じ境内には「トゥーティークン」と沖縄で呼ばれる関帝公も祀られています。(こちらも戦後のさなかに像は無くなってしまいました。)
どれも沖縄戦のさなかや戦後で、失われたものも多い観音様ですが、今でも旧暦九月十八日の観音様の拝みでは、多くの地域から拝みに訪れます。
まとめ
沖縄本島、八か所の観音様
・鏡水のミーヌシン
・首里観音堂
・奥武観音堂
・宮城のカミヤーグァ
・嘉手刈の観音堂
・伊是名の観音堂
・久志の観音堂
・喜名の観音堂
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