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【沖縄の昔話】三国志で知られる関帝、沖縄に伝わる民話

【沖縄の昔話】三国志で知られる関帝、沖縄に伝わる民話
沖縄の昔話ではしばしば中国の人物が登場するなど、琉球王朝と中国との繋がりを感じさせるものが多いですよね。なかでも中国ではそこここで見られる「関帝」、沖縄にも関帝廟があります

 

中国と同じく、沖縄でも金銭や商売運を司る神様として、特に関帝廟がある地域の久米方面では、関帝を祀っている家も多いです。これらの家では「十三夜拝み」と呼ばれる、沖縄の御願行事もあります。

 

関帝廟は孔子廟とともにありますが、それでも中国との深い関わりがあることが分かるのではないでしょうか。

 

そんな関帝ですが、実は沖縄県北部の名護地域では、関帝にまつわる沖縄の昔話もあるのです。そこで今回は、興味深い関帝が登場する沖縄の昔話をお伝えします。

 

民話ならではの、ちょっと面白い沖縄の昔話ですので、ぜひ一読してみてください。



 

【沖縄の昔話】三国志で知られる関帝王、
沖縄に伝わる民話

 

関羽が登場する、沖縄の昔話


唐の国の領主である関帝は日々一日千里を走る馬に乗り、自分の領地の安全のために見回りをしていました。(この「一日千里を走る馬」は中国・三国志での「赤兎馬」ではないでしょうか。)

 

【 沖縄の昔話、力自慢のワーシャーオゥ 】

 

★ ある日、養豚業を営む力自慢のワーシャーオゥが、大きな釜で豚肉を煮ていました。

・ この豚肉料理は大変な量で、180キロもの重しで蓋を閉め、煮ています。ワーシャーオゥはこれをお昼ご飯に料理していたのです。

 

沖縄の方言で「ワーシャー」は養豚業の意味合いがあり、ワーシャーオゥは「力自慢」剛腕の持ち主として登場します。

 

勝手に食べる?関帝


赤兎馬と領内の見回りをしていた時に、このワーシャーオゥの大きな釜から出てくる、美味しそうな匂いに辿り着いた関帝王は、丁度お昼頃と言うこともあり、この豚肉の煮物を頂くことにしました。

 

【 沖縄の昔話、強い!青龍堰月刀 】

 

★ しかし釜には180キロもの重しがあります。けれども関帝は青龍堰月刀を抜き出し、蓋の間に差し込むと、軽々とこの重しを開けてしまいました。

 

・ そして美味しそうな豚肉の煮付けを、青龍堰月刀に差してみるみる食べ、残りの半分を赤兎馬に与えてしまうのです。

 

関帝は領民想いの優しい人物だったはずですが…、沖縄の昔話ならではの面白い展開になっていますよね。さらに草食の赤兎馬が豚肉を食べる展開も独特です。

 

沖縄では豚肉料理はあらゆる行事に出てきます。本来であれば殺生をイメージさせるため御法度となる法事料理でも、欠かせない食材ですから、この沖縄の昔話にも登場するのかもしれません。

 

食事中にワーシャーオゥ登場!


さて、お昼ご飯を食べようと釜に戻ってきたワーシャーオゥ、関帝と出くわしますが、この反応も面白い展開になっています。

 

【 沖縄の昔話、関帝と出会うワーシャーオゥ 】

 

★ 豚の煮付けを食べている関帝と出会った力自慢のワーシャーオゥは、怒って…、ではなく、180キロもの重しを軽々と押しのけた関帝に恐れ入ってしまうのです。

 

・ そして、「あなたの家来にしてください。」と伝え、関帝の家来になることを申し出ます。

 

ただ、関帝についていくことは至難の業です。…と言うのも、関帝の馬である赤兎馬は「一日千里を走る馬」、なかなか付いて行ける者はいません。

 

ワーシャーオゥの足の毛?


そのため関帝はワーシャーオゥに「自分に付いてこれるのか?」と尋ねるのですが、沖縄の昔話では、その後の展開がまた面白いのです。

 

【 沖縄の昔話、ワーシャーオゥの足毛 】

 

★ ワーシャオゥはこう答えます。「私に速く走る馬はいませんが、私の足には3本の剛毛が生えています。これがバネになり、あなたに付いていくことができます。」

 

・ こうして晴れて関帝の家来となったワーシャーオゥは、この3本の毛のバネで、赤兎馬よりも速く走り抜け、時には関帝に止められるほどでした。

 

それがあまりに速いので関帝はある日、ワーシャーオゥの寝込みを狙って、3本の剛毛を一本抜いてしまいます。そうしてやっと赤兎馬を追い抜かずに、付いて行くようになったのです。

 

ワーシャーオゥの反乱


「おや、強いと思ってきた関帝だが、意外と隙があるじゃないか…。」そう感じたワーシャーオゥは、ある日暗殺を企てます

 

【 沖縄の昔話、関帝の采配 】

 

★ ワーシャーオゥが後ろから槍で襲うと、関帝はすかさず青龍堰月刀で払いのけました。ワーシャーオゥは問い詰められるものの、企てを認めず「事故だった!」と言い通したのです。

 

・ そこで関帝はそのままワーシャーオゥを手下に留め、見回りのコースを西→東へと変更します。

 

こうすれば太陽の影でワーシャーオゥの様子を監視できるため、以後、ワーシャーオゥの反乱もなくなりました。

 

 

いかがでしたでしょうか、今回は沖縄の昔話のなかでも中国と関わりの深い関羽(関帝)の物語をお伝えしました。沖縄の昔話のなかでも、珍しい物語だったのではないでしょうか。

 

ちなみに「関帝」と「関羽」は同じ人物で、生きている頃は関羽、金銭の神様として祀られるようになった関羽が「関帝」と捉えてください。

 

琉球王朝で関帝として信仰されるようになったのは、1691年頃とされ、中国人が関帝などが描かれた掛け軸を持っていたためとも言われています。彼らが金銭の神様として広げたのです。

 

現在関帝が祀られている「久米至聖廟」では、本尊が雷神(道教)である「天尊」、左側に水神の「龍神」、そして右側に関帝が鎮座しています。

 

子どもに話しても面白い関帝の物語ですので、ぜひ子ども達にも教えながら、いちど久米至聖廟も訪れてみてはいかがでしょうか。

 

まとめ

沖縄でも祀られる関帝の昔話

・関帝は赤兎馬で領地を見回っていた
・赤兎馬は一日千里を走る馬だった
・関帝は180キロの重石を軽々と除けた
・それを見たワーシャオゥが家来になる
・ワーシャーオゥは3本の剛毛をバネにして走る
・ある日ワーシャーオゥが関帝の暗殺を企てた
・影で監視できるように西→東へとルートを変えた

 



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