ご契約者様の声 お契約者様よりお寄せいただきました声をご紹介します。

母の願い

東京都在住 40代女性

拝啓 盛夏の候、貴社ますますご隆盛のこととお喜び申し上げます。このたびは急なお申し出に快くご対応いただきましてありがとうございました。

 

早速ではございますが、必要書類を先に提出いたしますので、ご確認いただきお願い申し上げます。一部、滲んでしまいましたが、もし不都合がありましたらお申し付けください。

 

母は、実は東日本大震災の直前に逝去しております。死後は大学病院へ献体の勤めに出ておりましたため、骨になって帰ってきたとき、こちらはすっかり忘れていたくらいの年月が経っておりました。葬儀もしなかったので何となく区切りがつかないまま、今に至ります。

母は生前「死んだら沖縄の海に撒いてほしい」と言っていたのですが、闘病中は言うことがはっきりしなかったのと、江戸前の母が本気で言うこととも思えずに、これもどこかへ忘れておりました。

 

一人娘の私は、ある時旅行者として本部町でお世話になってから、かれこれ20年が経とうとしています。休暇のたびに私が沖縄に向かうことを、なぜかずっと母はよく思っていませんでした。

ですがある時「自分も行ってみる」と言いだし、76歳のとき最初で最後の沖縄旅行を経験しました。そのとき、どれだけ多くの方に親切にしていただいたことでしょう。母を囲んで友人が集まってくれた食卓で母から聞いたのは「ずっと沖縄の人たちに申し訳ないと思っていた」という言葉でした。焼けた東京で戦争を体験した母は、もっと沖縄の方々は苦しんだはずであることを言い出せず、ずっと心にしまってきたというのです。

なぜ急に「沖縄へ行ってみる」と言いだしたのかはわかりませんが考えもしなかった本心を聞きました。また、私の大切な友人に頭を下げて「娘をお願いします」と言ってくれたのも忘れられないことです。

 

納骨については、母の関係や少ない縁戚者から「どうするのか」をずっと言われ続けてきました。前述のとおり、踏ん切りがつかずこれまでやり過ごしてきましたが、突然鮮明に母の言葉を思い出したのと、これから自分も前に進むために決心した次第です。こういうのを機が熟すというのでしょうか。

 

今は、毎年の夏休みや年越しは、本部町の友人と過ごしています。家族のようにたくさんの子供や孫が迎えてくれます。これからは母がいることで沖縄が本島の故郷になってくれるものと思っています。

もう一度沖縄に行きたいと言っていた母の願いを叶えてやれるのと、沖縄の皆様の魂と一緒にしていただくことで、ようやく母にとっての戦争が終わるであろうことを嬉しく思っています。

私達を受け入れてくださる沖縄の皆様に感謝してやみません。

 

7月18日は12:00に友人とお伺いいたしますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。

 

末筆ではございますが、皆様のご健勝をお祈り申し上げます。

 

敬具

 

2016年7月7日

 

投稿日:2016年7月18日