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四十九日の意味合いとは。子どもにも伝えたい基礎知識

四十九日の意味合いとは。子どもにも伝えたい基礎知識


四十九日は故人が亡くなってからの、多くの法要のなかでも忌明けともなる、大切な節目。日頃の暮らしのなかではあまり気にならなくても、喪主となった時など、四十九日の意味合いが気になることはありますよね。

 

沖縄では四十九日(シジュウクニチ)と言えば、一部の地域では生きている者と亡き者を分ける儀式、「マブイカワシ」が執り行われ、故人の魂が家の仏壇からお墓へと移る日としても知られる日です。

 

さらに四十九日までは遠い親族や知人・友人は参列しないものの、喪主や遺族は周忌法要も執り行います。この四十九日までの法要の意味合いが分かると、より心を込めることができますよね。

 

そこで今回は、一度知っておきたい、子どもにも伝えられる四十九日法要の意味合いをお伝えします。

 



 

四十九日の意味合いとは。
子どもにも伝えたい基礎知識

 

沖縄での四十九日までの法要


お仏壇

全国的にも同じことが言えるのですが、沖縄でも四十九日までは周忌法要である「ナンカスーコー」が執り行われます。前述したように、四十九日までの故人の魂は家に住み、まだ安定していないとされてきました。

 

【 沖縄での四十九日までのナンカスーコー 】

 

■ 沖縄では初七日=ハチナンカを始まりとして、タナンカ、ミナンカ…と、四十九日まで週忌の追善供養が行われるのがしきたりです。

 

・ この四十九日までのナンカスーコーのなかでも、初七日(ハチナンカ)、三七日ミナンカ、五七日イチナンカなどの奇数の週を「ウフナンカ」、二七日(タナンカ)や四七日(ユナンカ)などの偶数の週を「マドゥナンカ」と呼びます。

 

この四十九日までのナンカスーコー、四十九日が最も大きな法要であることはもちろんですが、奇数の週であるウフナンカが、より焼香客が訪れることの多いナンカスーコーです。

 

 

四十九日までのナンカスーコーの意味


お仏壇2

この時期、仏教の世界で故人の魂は、閻魔大王様により七日ごとに生きていた頃に行った行為に対して、裁きが下されると言われています。初七日(ハチナンカ)の頃には故人の魂は三途の川に着く、と言われてきました。

 

【 四十九日までのナンカスーコー 】

 

■ 三途の川を越える初七日以降、閻魔大王様をはじめとする「十王」の裁きが七日毎に行われ、七回目の四十九日は最終的な裁きの日です。そして、四十九日の裁きによって、故人の魂は来世が決められます

 

・ ここで残された遺族ができる行為が追善供養です。遺族が故人のために追善供養を行うことで徳を積み、裁きの内容が変わります。

 

 

仏教に伝わる「四有」


四有

この閻魔大王様をはじめとする裁きが下されると言われる四十九日…、この日に全ての裁きが終わる、と言う考え方は、仏教での「四有」を理解すると納得できるかもしれません。

 

【 仏教に伝わる「四有」 】

 

■ 仏教には四つの「有る」が存在しています。

 

・ 人の誕生 … 生有
・ 生きている時間 … 本有
・ 人の死 … 死有
・ 生と死の間 … 中有

 

…ここで気付かれた方もいるかもしれませんが、本来単純に考えると人は、誕生⇒生きる時間⇒死の三有しかないものですよね。ここに仏教の考え方では正と死の中間が存在します。これが「中有」です。

 

実はこの「中有」に当たる期間が四十九日です。ちなみに「中有」は「中陰」とも呼ばれ、正確には四十九日は「満中陰」となります。聞いたことがある方も多いのではないでしょうか。

 

 

初七日(ハチナンカ)にも意味がある


彼岸花

仏教ではこのような考え方があるため、四十九日までの期間は週忌法要(ナンカスーコー)に限らず、できるだけ拝みを行うことで、故人の魂の追善供養となり、故人の徳が積まれると信じられてきました。

 

そして一連の法要が始まる初七日(ハチナンカ)にも、それなりの意味合いがあります。初七日が始まりの日であり、四十九日で裁きを終えます

 

【 初七日(ハチナンカ)の意味合い 】

 

■ 初七日の時点で故人の魂は、三途の川にいる、と言うことはお伝えしました。この際、故人の生前の行いが川の流れに反映され、三途の川の渡り方が分かれます。

 

・ 故人が生前に積んで来た徳により、三途の川が渡りやすい緩やかな川になるか、渡ることが困難な激流になるのかが変わる、と信じられています。

 

 

残された者にとっての四十九日


残された者の四十九日

一方、残された者にとっては悲しみのなか故人の魂を、少しでも極楽浄土へ導くためにと、四十九日まで追善供養を続けてきましたが、四十九日は喪が明ける「忌明け」です。四十九日を境に暮らしが日常に戻ることを意味します。

 

【 残された者にとっての四十九日 】

 

■ 四十九日を持って日常に戻り、その後家族のみで執り行われる法要、百か日(ヒャッカニチ)では、この日を機に悲しみに区切りを付けるとされ、これを「卒哭忌」(そつこくき)と言います。

 

 

 

いかがでしたでしょうか、四十九日の法要までは施主もまだ悲しみから抜け出てはいないものの、その意味合いを知ることで、法要に集中し、心を込めた追善供養ができるのではないでしょうか。

 

悲しみのなかで週忌法要や四十九日…と、執り行わなければならない事柄に追われてバタバタとするのは、施主にとっては大変なことです。けれども多くの体験談のなかには、「この忙しさがあったからこそ、悲しみを乗り越えることができた。」と言う声も聴きます。

 

百か日(ヒャッカニチ)では、「遺族が涙に区切りを付ける日」とされてきましたが、初七日からの一連の流れのなか、自然な時間の経過を踏まえたものなのかもしれません。とは言え、仏教のしきたりはあっても、心が言える時間は人それぞれです。

 

今後子どもに訪ねられても、今回の記事を確認すれば、丁寧に説明ができるかもしれません。

 

 

まとめ

四十九日までの法要の意味合いとは

・沖縄では四十九日まで一週間毎の法要がある
・四十九日まで、一週間毎に閻魔大王様からの裁きがある
・四十九日は生と死の間にあたる「中陰」(満中陰)に当たる
・初七日の裁きで三途の川が緩やかか、激流かが決まる
・遺族にとっては四十九日で忌明け、百か日で悲しみに区切り

 



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